初アメリカ旅行で、同室の女の子のテンションが異常だった話
アメリカ。
私は24歳の時、初めて行きました。
広大な大地、人種のるつぼ、そして自由の国。
期待に胸膨らむアメリカ旅行、最初の都市はロサンゼルス。
そこで、大きな衝撃を受けたというお話。
目次:
※本記事の内容は、個人的な見解を含むものです。
広い心で読んでください。
①コミュ障大学生が愚かにも8人部屋に宿泊
私は、24歳のとき、貧乏学生でした。
親の名義で教育ローンを借り、
そのお金で卒業旅行としてアメリカに行きました。
最初は1人で、そのあと彼女と合流するというスケジュールだったので、
最初の都市、L.A.では一人旅でした。
(※"ロス"と呼ぶのは日本人で、"L.A.(エル・エー)"がメジャー。"ロス"は通じないので注意)
2013年2月下旬、学生最後のミッションである修士論文をマッハで終わらせ、
超絶ダッシュで大きな荷物を持って、大学から羽田空港に向かいました。
夢の西海岸が待っている!!!
しかし、肝心の飛行機は機材トラブルで4時間半遅れ。
AM4:30発という鬼畜なフライトなり、向こうへの到着も夜の22時。
そこから、今回の話の舞台であるL.A.のドミトリー(相部屋)に到着しました。
ドミトリーは初めてだったので、いろんな人たちに緊張します。
旅の疲れもあって、頭があまり回りません。いろんな不安がよぎります。
英語は通じるだろうか?
文化や慣習の違いで、ドミトリーの部屋にも暗黙のルールがあるのでは?
そもそもセキュリティは大丈夫だろうか?
しかも男女混合の8人部屋です。2段ベッドが4つあり、ほぼ埋まってました。
到着時にはすでに寝ている人が多かったと思います。
私は、あまり音をたてないように気を使いつつも、
ベッドに横たわったら、死んだように眠りました。
コミュ障な自分が、なんでわざわざこんなドミトリーを選んだかと言えば、
もちろん金銭的な理由です。
当時円高の影響もあり、1泊4000円くらいだったかと思います。
水回りは8人で共有でしたが、幸いそこまで汚くありませんでした。
翌日、まだバッキバキの時差ボケ状態で、L.A.に繰り出しました。
地中海性気候のさわやかな風。2月なのにどことなく陽気な気候。
ハリウッドに行ったり、サンタモニカのビーチに行ったり、
ダサい恰好で一人だったので、少し切なくなる気持ちを抑えながら、
オープンな雰囲気を味わい「やっぱりアメリカはサイコウ!」
と思いながら、1日を満足で終えてドミトリーに帰ってくると、
なんだか部屋が騒がしかったのです。
②異常にテンションの高かった女の子
部屋< ニャーーーーーーーーーーーーーーーーハッハッハッハッハッハ!!!
自分の泊っている部屋から大きな笑い声が聞こえてきます。
おいおい、アメリカってのは本当ににぎやかだな。
だけどそれも嫌いじゃないぜ。オープンな心、俺持ってるから。
そんな感じで、自分の寛容な態度に酔いしれながら、
ちょっとアメリカナイズされたダサい日本人が部屋を開けると、
その笑い声はちょっと普通じゃないことに気づきます。
ニャーーーーーーーーーーーーハッハッハッハッハッハ!!!
その黒人の女の子は、誇張じゃなく、本当に”ニャ”って言ってました。
猫は嫌いじゃないですが、テンションが本当に高いです。
ここ3年くらいで見た人の中では、間違いなくナンバーワン。
よく観察してみると、2段ベッドの下段で友人に膝枕されながら、
何を言われても、その応答が
ニャーーーーーーーーーーーーハッハッハッハッハッハ!!!
なのです。お箸が転んでもおかしいお年頃。
これはどうしたという顔で、私が硬直していると、
隣のベッドのスイス人青年が教えてくれました。
スイス:”彼女は××ってるんだよ”
わたし:”ん??××って何?”
スイス:”××ってのはスラングで・・・・”
ここまで話していたそのとき、そのやり取りをみみっちいと思ったのか、
笑い女が、なぜか突然反応しました。
ニャーーーーーーーーーーーーーーーッハッハッハッハッハ!!!
マリフゥァァァナァァアアアアアアアアアアアア!!!
単純明快、シンプルイズザベスト。スッキリスッキリ。
彼女のテンションが半端じゃないことが理解できました。
当時、社会のことを知らない青二才。異国の地。
ただでさえ不慣れで緊張するドミトリーという環境。
そんな中で繰り広げられるドラッグパーティ(その子一人だけ)。。。
え、マリファナってドラッグだよね?こっっっわ!!!
と一瞬思いましたが、恐怖よりもそのヤバすぎる状況を考えると、
なんだか面白くなってしまいました。
その後、隣のスイス青年から、いろいろ情報を聞きました。
・カリフォルニア州では合法化された
・一発3000円くらい
・やりすぎると、川を1日眺め続けても飽きないくらいヤバイ
という、色々新しすぎるインフォメーションの数々。。。
カルチャーショックというレベルではありません。
実際の状況はヤバイことこの上無かったのですが、
その子はそのうち静かになりました。翌朝、元気に出ていったとのこと。
③異文化コミュニケーションの何たるかを知る
日本では「危険で手を出したら人生終わり」のイメージがあるドラッグも、
ここでは一部が合法なのです。
”毒性は実は低い”ということも、そのスイス人青年から得た情報でした。
(彼が実際にマリファナを嗜好していたかどうかはわかりませんが、真面目な男でした)
私はカルチャーショックの中で、一つ理解したことは、
合法か違法なのかは、本質的に体への危ないかどうかではなく、
ルールで禁止されているかどうか。
ということが分かりました。
物事のいい悪いは国・地域によって違う。
こんなにも尺度は変わってしまうのか、と。
こういうと、"まるでお前は薬物を推奨している”と
誤読する愚かな人たちがいますが、そうではありません。
異文化コミュニケーションの神髄は、相手を許容するということです。
日本で禁止されていたり、タブー視されているものも、
隣国では素晴らしいものとして尊重されていたりします。
旅行に行くと、少なからず文化・習慣の違いにブチ当たります。
そのたびに、自分の常識がどんどんアップデートされていく気分です。
だから、私は旅行が好きなんですけどね。
異常以上