狩猟採集新時代

大手上場企業を不動産投資で脱サラした30代が綴るライフログ

挫折経験まとめます:大学受験不合格、学生時代の過負荷、ビッグな破局

挫折、できれば避けて通りたいもの。

ですが、人生山あれば谷あり。

谷の底はもれなく挫折イベントが発生します。

 

 

 

多分、世の中の全ての人が、

規模は違えど様々な挫折を経験していると思います。

 

一説には、

"生まれてから経験した挫折によって、

その人の主要な性格が形成される"

ともいわれています。

 

挫折を乗り越えて成長するのは、スポコン漫画の王道表現ですが、

あながち間違ってはいないと思います。

挫折体験によって初めてわかる自分の側面もありますし。

 

※参考記事 ↓

https://oppekepe1900.hatenablog.com/entry/self-analysis.is.bullshit

 

 

そんな前置きはこの辺にして、

この記事では私が体験した挫折経験の内容と、得られたことを

各エピソードごとに記していきます。

 

 


目次:

1.一つ目の挫折:高望みしすぎた大学受験

2.二つ目の挫折:学生時代の限界生活

3.三つ目の挫折:6年続いた彼女との破局

 

 

 

1.一つ目の挫折:高望みしすぎた大学受験

 

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私の生い立ちから簡単に話しますが、

埼玉県北部にある"熊谷"という、暑さがウリの町に生まれました。

 

夏の暑さで多分頭がイカれちまっていたんだと思いますが、

川で泳いだり、自転車を無人走行させてクラッシュさせたり、

選挙カーの上に秘密基地を作ったり、下水処理施設に忍び込んだり、

ちょっとやんちゃな子供時代を送っていました。

 

 

ですが、こんなガキでも根は真面目で成績はまあまあでした。

地元の進学校(通学はチャリで10分)に進み、上位をキープします。

 

そしていざ、大学受験の局面になったとき、

ラブひな赤松健 作の東大受験ラブコメ漫画)」を読んだ影響もあってか、

志望校を東京大学と書く始末。

当時は "頑張ればいけるっしょ" くらいに考えていました。

 

子供の持つ全能感てあるじゃないですか。

「何でもできるぜ、俺」みたいなヤツ。

普通、この全能感は中学生くらいでへし折られるものですが、

私は高校3年生になってもなお、バリバリ健在でした。

 

 

一応、受験勉強はそれなりにしていたのですが、

並みの努力で東大に入れるハズもなく、あえなく撃沈。

思い返すと、勉強の効率が悪すぎましたね。

 

幸い、併願した都内の私立大学にギリギリ合格しました。

この大学、入試試験の手ごたえが無さ過ぎたので、

合否確認の電話で「おめでとうございます、合格です」

の自動音声を聞いたときは、3回かけなおしました。

今でも、採点ミスだったと思っています。

 

 

 

高望みせず、地に足ついたことの重要性を知った、大学受験。

 

 

 

 

2.二つ目の挫折:学生時代の限界生活

 

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さあ、なんとか始まった夢の大学生活。

何故か小さいときから都内の大学へのあこがれがあり

それを叶えた形で、とても調子が良かったのを覚えています。

 

私は、前々から入りたかったバンドサークルに所属します。

中学生くらいからバンドを組んでドラムをやっていたので、

他を選ぶ理由がありませんでした。入ってさっそくバンドを組みます。

 

 

バンド経験がある人ならわかると思うんですが、

ドラムって結構引っ張りダコなんですよ。

人に求められたい人はドラムをやることをお勧めします。

 

私はよく言えばお人よし、悪く言えばアホなので、

どんどんバンドを組んでいきました。断れないタチだったのです。

結果、スケジュールが圧迫されました。

 

さらに、バンド活動とは不幸なことにカネがかかるもので、

いっぱいバンドを組んでいた私は、すぐに財政難になりました。

 

 

バイトを増やし、スケジュールがさらに圧迫されます。

しかも当時、バイト先の担当者や先輩とうまく折り合いがつかず、

そういった人間関係も少しずつストレスになっていたのだと思います。

 

 

加えて、私の所属していた「機械工学科」は、

大学内でも3本の指に入る課題ボリュームの学科でした。

大学2年生になると、レポートのレベルも上がってワケわかめ。

実験の予習復習だけでも、かなりの時間が必要になります。

 

当時はまだ奨学金を受給しておらず、親が学費を払ってくれていたので、

留年なんかできるハズが無かったのです。

 

 

 

結果として、

・本業である学業

・やらなければいけないバイト、

・好きで始めたはずなのに負担になるバンド活動

の3本立て。確実にキャパシティオーバーでした。

自分でも、段々と覇気が無くなっていくのに気づきました。

 

 

ある日、バイト終わりのバンド練習で帰りが遅くなり、

なんとか終電に飛び込みました。

しかし、終電を熊谷で寝過ごしてしまい、気づくと隣駅に。。。

 

隣駅といってもド田舎なので、歩くと家まで2時間以上かかります。

私は、なんだかとても寂しくなってしまって、

それまでの生活で抱えていたものが堰を切ったように流れました。

親に泣きながら電話して、迎えに来てくれたことで難を逃れました。

 

 

生活の改善のために出来る事は一つ。

バンド活動を減らして、時間とお金を作ることです。

 

私はどれだけお人よしだったのでしょうか。

そんな限界が来るまで、

バンドを辞めるという選択肢に至りませんでした。

お人よしというか、自分の意見を主張するのが怖かったのです。

 

 

キチンと自己主張しないと人様に迷惑をかけると知った、大学2年生。

 

※ちなみにこの経験は、就活のネタにしました。

 転んでもタダでは起きません。

 

 

 

 

3.三つ目の挫折:6年続いた彼女との破局

 

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私はモテるかモテないかと言われたら、ハッキリと自信をもって

モテないと清々しく回答することができます。

 

 

そんなモテない私にも、奇跡が起こるものでして、

大学時代に念願の彼女が出来ました。

同じサークルで趣味もマッチしていて、顔もクッソ好みで、

今思えば思考回路も似ていたように思います。

 

学生からの6年間とは長いもので、思い出もいっぱいありました。

社会人になってからも付き合っていたのですが、

マンネリなどもあり、いろいろあって破局を迎えます。

 

 

ただ破局後も、未練たらたらタランチュラな私だったので、

ちょくちょく会ったり会話していました。

そんな私の未練たらたら鱈子スパゲティ状態は、

先方の新規パートナーの出現によって、ブッた斬られます

 

 

私は、ひどく落胆しました。ショックに枕を濡らす日々。

脳内BGMはビートルズのYesterday。

そもそも一旦別れたあとは曖昧な関係でしたが、

ここにきて明確な隔離壁が目の前に現れました。

 

全裸で町を駆け回ってやろうという気持ちを何とか押さえつけ、

ギリギリ仕事に向かう精神状態。

自分の心の貧弱さを痛感しました。

 

食べるのがこの上なく好きな私でさえ、

あ、"何を喰っても旨くないことってあるんだ。。。" と感じる始末。

このままじゃ俺、痩せちゃうと危機感が芽生えました。

(実際は全然痩せてないです)

 

 

その後、”モテるようにならなければ” と強く心に誓い、

最低限の身だしなみを整えるべく服装のアップデートをし、

街コン・合コンへの積極的な参加でトークスキルを磨きました。

 

その甲斐あってか知りませんが、

最終的に新しい方と出会い結婚して現在に至ります。

 

 

私が今モテているかと言えば、ほとんど変わってないでしょう。

地元の友人は「こいつを拾ってくれてありがとう」と

嫁殿にお礼を言っていました。捨て犬じゃないぞ。

 

ここで学んだことは。。。。。それこそ沢山ですね。

でも、最後に一つ、これだけはいわせてください。

 

 

 

自分の子供はモテるようになって欲しい。

なぜなら、親が楽しそうだからです。グヘヘ。。。

 

 

以上